NINaに今年に入ってから、来て下さってる

80代の素敵な女性のお客様のお話しです。

そのお客様は70歳まで、卓球をされてて、今でも月に2回は着物を着られて唄を習いにいかれてます。
先日、何気にご出身のお話しになった所、幼少より父親の仕事で全国を転勤され、戦時中には台湾にも住まれてたそうです。

お父さんの仕事の関係でいかれた、呉では電車の一方の窓に幕を下ろし見えない様にしなけれはいけなく、機密にされてた当時の呉の海軍の様子が伝わります
お母様は広島のご出身で、広島でも過ごされており、おじいさんやご親戚、従姉妹との思い出のお話しを聞かせて下さりました。

祖父母の家の隣りまでが、建物疎開にあたり、御引っ越しをされたそうです。その5月にお客様はお父さんの転勤により、福井県に引っ越されたそうです。

その夏

広島のお母様のご親戚は、皆様亡くなったそうです。県庁にお勤めの叔父さん、祖父母、従姉妹、母方の親類の7人の方、1人を残され亡くなりました。

その時のお母様の報せを受けた、悔しくて悔しくてたまらないご様子、、

暫くの後、お母様にはとてもお見せできないからと、お父さんが広島に足を運ばれ捜しにいかれたそうです。

家の跡のここに骨があったから、多分おじいさんはここで亡くなったんだろう、、ここに骨があったみたいだからこれは、おばあさんだろうとか、、県庁にお勤めの叔父さんは、従姉妹達、骨すらも残らなかった方達、、

「お父さんも、多分、本当は被爆してたんじゃないかと思ってる」

その当時の広島の放射能がどれくらいの強さかは、わかりませんが、そこに妻の為に自ら動かれたお父さんの気持ちも伺い知ることができます

お母様がお亡くなりになった後、暫くの後、お母様の大切にされてた遺品の箱を開け時、中にあった手紙は、当時、お母様にあてられた広島の1人の生存された親類からの手紙だったそうです
そこにあてられてた無念を綴られた言葉と想い
その手紙は何度、読み返されたかわからないくらいボロボロになり変色してたそうです。

配給されてた食料は栄養失調になるギリギリくらいしかなく、農家に身内がある家の子供のお弁当はすぐ違うからわかったそうです。

「お米に豆が入ってのが羨ましかった、、」
当時、小学校では、アメリカ人は目が奥まってるから視野が狭く、日本人は平たいから視野が全然広く、そんな優れた日本兵がアメリカ兵に負ける訳がないと教えられたそうです
「今思うと馬鹿な話だよね、、でもその当時は本当にそう思ってたの」

終戦の日はお父さんどんなご様子でラジオを聞いてられました?とお訊ねしてみたところ
「ぅうむ、、」
と唸ってたそうです。

言葉にならなかったんですか?と聞くと 
「天皇の言葉は、天皇だけの言葉や言い方でしょ?何を言ってるのか、よくわからなかったのよ笑」

最期に
お客様に、こんなお話しして大丈夫でしょうか?

とお尋ねした所

 

「こういった話しを伝えれるのが私達が最期なの、だから伝えれる時に伝えなきゃいけないと思ってるの。」

もう昭和は遠くなってしまいました。。

ましてや、1日毎に第2次世界大戦は遠くなり、第2次世界大戦の言葉を聞けるのはあと僅かに残った砂時計のようなものかもしれません。。
気持ち的には自分が歳を重ねれば重ねる程、10年、20年という年月の尺は逆に短く感じ、何か不思議な感覚で、その当時が近くになってる感覚が僕にはあります。
僕の知らなかった、昭和や日本が確かにあり、今回お客様とお話しできた事で、僕の中での当時の日本の姿も、より鮮明に近く、痛く感じました。
なるべく多くお伺いした事をお伝えしたかったので、取り急ぎ、文にしたためたかった為、乱雑乱文の箇所もあり、読みにくかったと思いますが、読んで知って下さった事を、お客様とともに有り難く思います
では

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押目 久志NINa代表

投稿者プロフィール

2011/5/16 NINa設立
兵庫県西宮市を中心に美容師として活動、ヘアスタイル、撮影、WEB、Service、技術のディレクションを行う
独自開発のドライカットを中心にカラーやドライ、カラーリング、スタイリング全てにNINaオリジナル技術をねりこみ
大学生、OL、大人女性に上質で洗練されたオシャレを提案する
普段は、おもろいおっさんとしても活動

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